はてブを見ていると少し自殺に関する記事がいくつか人気になっていた。
それら記事の内容とは全然関係ないけれど、なんで自分は自殺しないかについてメモしておこうと思う。
当方はDラン大学1留卒、30歳手前の童貞、正社員(プログラマー)、年収400万円、貯金800万円、実家住まいの中途半端なオタクだ。
・家族に迷惑がかかる
自殺した場合、両親が自分の葬式の手続きをし、親族から自殺についてヒソヒソ言われているのを想像すると、申し訳ない気持ちになる。
僕を甘やかしてきた母親なんか、ちょっと精神に異常をきたすかもしれない。
そうなると結構な学費を出してくれた父親が介護する羽目になるだろうし、これも申し訳ない。
・自分が死んで悲しむ人が、家族以外にいる
友達は少ないが、いないわけでもない。
彼らが悲しむかどうか……ちょっと検討がつかないけど、ショックは受けるだろう。
やや申し訳ない。
自殺に対するハードルになっているのは、上記2点くらいだろう。
自殺することについては、いつもポケットに持ち歩いている感覚がある。
気持ちの落ち込みが自殺に対するハードルを押し下げると、フラフラと自殺についての行動を考えるようになる。
自分の中で自殺に関する思い出は、就職活動がうまくいかず、大学にも行かずに留年が決定しかけたときのことだ。
自殺場所を探しに京都駅の高い場所に向かったらたまたまその時がクリスマス前で、大階段上の公園はカップルだらけ。
こんなところで塀をよじ登って飛び降りたらこのカップル達に迷惑がかかるな、と思ってすごすご退散したのをまだ覚えている。
とにかく、死ぬなら迷惑を掛けたくない。
死者には迷惑はかからないので、両親が早めに死んでくれないかな、そうしたらこっちも早めに死ねるのになどと最低なことを時々考えたりもする。
しかしその時は自分の葬式を誰がやるのかとなると、たぶん姉弟がやる羽目になるのだろう。
彼女らには彼女らの家庭があって、そこにはもっと迷惑を掛けたくない。
関係のない家庭に対して、早めに死んでくれなんて考えることさえおぞましい。(親にはちょっとは迷惑をかけてもいいかなという考えがあるらしい)
理性的になればなるほど、自殺は難しい。
このアクションは衝動がなければ踏み出せない。
ハードルをぐいっと押し縮め、飛び越えるような衝動がないと、とても自殺なんてできない。
改めて自分の自殺に対するハードルを見なおしてみるとと、自殺を留まらせるのは近しい人とのつながりしかないのかなと思う。
自殺する人は家族が嫌いで、友達もいないんだろう。
あるいは、それを台無しにしてもかまわないと思うほどの何らかのショックがあったんだろう。
経済的な問題も、あるいは病気などの身体的な問題も、家族と親しければある程度は回避できる。
少し踏み込むなら、家族が問題を抱えた人を扶養する常識と、それを支える資産があるかどうか、ということになりそうだ。
……最後の一線を越えるか越えないかを分けるのは、「生まれ」というどうしようもないものなのかもしれない。
(理性を使っても限界がある)